西鉄バスジャック事件は、2000年5月3日に発生したバス乗っ取り事件であり、犯人は当時17歳の谷口誠一少年でした。
彼は事件を起こす前に、インターネットの2ちゃんねるに犯行予告を書き込み、犯罪を計画していたことが明らかになりました。
この事件は、谷口誠一が2ちゃんねるで使用していたハンドルネーム「ネオむぎ茶」から「ネオむぎ茶事件」とも呼ばれています。
この記事では2023年現在、谷口誠一(バスジャック)の現在はどこにいる?結婚や生い立ち、動機は?についてご紹介しています。
さらにバスジャック犯の谷口誠一「ネオむぎ茶事件(西鉄)」概要についてご紹介しています。
ぜひ最後までご覧ください。
【バスジャック】谷口誠一「ネオむぎ茶事件(西鉄)」概要
西鉄バスジャック事件は、2000年5月3日に発生したバス乗っ取り事件であり、犯人は当時17歳の谷口誠一少年でした。
彼は事件を起こす前に、インターネットの2ちゃんねるに犯行予告を書き込み、犯罪を計画していたことが明らかになりました。
この事件は、谷口誠一が2ちゃんねるで使用していたハンドルネーム「ネオむぎ茶」から「ネオむぎ茶事件」とも呼ばれています。
犯行当時、谷口誠一は凶器を手に、乗客に向かって「あなたたちが行くのは楽しい天神じゃありません。地獄です」と言い放ち、バスを乗っ取りました。
そして、事件発生から15時間30分後、15名の機動隊員が突入し、谷口誠一を逮捕することに成功しました。
しかし、この事件により、乗客の中に1名の犠牲者が出てしまいました。
この悲劇的な事件以降、谷口誠一の現在や家族、生い立ち、そして事件の動機について、多くの関心が寄せられるようになりました。
【2023】谷口誠一(バスジャック)の現在はどこにいる?結婚は?
当時未成年であった西鉄バスジャック事件の犯人、谷口誠一氏の顔画像は公開されることはありませんでした。
しかしながら、バスジャック事件が発生した最中において、一部のメディアが写真を掲載した結果、彼の顔画像が明らかになりました。
- 名前:谷口誠一(たにぐち・せいいち)
- 生年月日:1983年3月生まれ
- 年齢:40歳(2023年)
- 出身地:佐賀県
- 六星占術:不明
- 干支:不明
- 星座:不明
- 家族構成:妹/父親農機具販売会社勤め/母親保健師
谷口誠一氏は強盗殺人容疑で逮捕されたものの、未成年ということもあり、少年法が適用されました。
刑事処分相当の「検察逆送致」が選択肢としてあったものの、谷口誠一氏の付き添いの方々が医療少年院に送る「保護処分」とするよう尽力されました。
そして、佐賀家庭裁判所では、「解離性障害」の治療が必要ということで、医療少年院送致が決定されました。
事件から約5年後の2006年春、谷口誠一氏は本退院し、社会復帰への訓練を始めたとのことです。
谷口誠一氏の家族は、現在も被害者遺族に賠償金を支払い続けています。
両親は、事件後涙ながらに「息子が大変なことをやってしまい、本当に申し訳ありませんでした」と被害者に謝罪し、訪ね回ったと伝えられています。
そして、事件から約1年後の2001年4月、被害者22名に対し暫定的な賠償金を支払うことが決定されました。
暫定的な賠償金は、手持ちの資金でなんとか賄ったものの、追加の賠償金を支払うため家を売却しなければならなくなりました。
「その内訳は、死亡者が550万円で、重傷者2名合せて350万円、軽傷者を含む残りの被害者が1人当たり20万円から40万円でした。総額にして、1380万円にのぼりました」(同)
引用元:https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01030556/?all=1
谷口誠一さんの家族の方々は、事件の後、苦難の道を歩まれたようですね。
現在、谷口誠一さんがどうされているかは明らかになっていませんが、再犯はしていないようで報道もありません。
谷口誠一さんが社会復帰した後の現在の状況には詳しくありませんが、彼が事件を受け止めて更正し、前向きな人生を歩まれていることを願っています。
結婚されているのかどうかもわかりませんし、現在どこで何をしているのか?一切わからない状態です。
谷口誠一の生い立ちは?
谷口誠一さんは1983年、佐賀県で生まれた普通の家庭の子供でした。
父親は建設機械の会社に勤めるサラリーマン、母親は役所で保健師を務めていました。
彼は幼少期から言動に落ち着きがなく、注意力が散漫だったと言われています。
しかし、小学校の時から成績は良く、周囲からは優等生と見られていました。
しかしその一方で、協調性に乏しく、学校では友人に馴染めなかったため、いじめの対象になってしまいました。
中学校に進学すると、2年生まで学年で2番目の成績を誇ったが、高校受験が近づくにつれて、成績が下がっていきました。
当時、彼は同級生からのいじめも受けていたということです。
そして、段々と他者への攻撃的な態度を取ることが多くなってきました。家族に対しては、命令口調で暴〇▽言を吐いたり、物を投げつけたりするなど、暴〇▽力を振るっていました。
1998年1月、高校受験が目前に迫った時、クラスメイトたちの挑発を受けて踊り場から飛び降り、重傷を負い入院することになってしまいました。
病室で佐賀県立致遠館高等学校(偏差値:62)を受験して合格したものの、入学後、校風が合わないという理由ですぐに中退しました。
その後、彼は自宅で引きこもるようになり、外出は土日に父親と行くドライブだけでした。しかしそれもどこかを観光するわけでもなく、道路を10時間以上も延々と走るだけだったそうです。
彼の家庭内暴力はますます悪化していき、危険を感じた親は警察や精神科病院に相談しました。しかし双方から「事件を起こさない限り対処できない」と断られたため、彼の親は精神科医の町沢静夫氏に相談したそうです。
町沢氏は頻繁にテレビに出演して著書を出している医者であり、彼の親からの要請を受けて、2000年3月5日、佐賀県警と国立肥前療養所に電話し、谷口誠一の医療保護入院を許可させました。
谷口誠一の犯行動機は?
谷口誠一の生い立ちは、教育に熱心な母親と祖母から家業を継ぐ人間としての自覚を叩き込まれる中、丁寧に育てられたと言われています。
しかし、プレッシャーに耐えかねた谷口誠一は次第に性格までも変わっていきました。
そして、あのバスジャック事件の動機ですが、当時ハマっていたインターネットの掲示板「2ちゃんねる」で煽られたことが原因で、事件を起こしたとされています。
また、親から精神医療センターへ収容されたことに対する腹いせだったとも言われています。
入院中、外泊許可が出て家に帰ることになった際、谷口誠一は掲示板に「佐賀県佐賀市17歳 ネオむぎ茶」というスレッドを立て、事件を起こしたとされています。
逮捕後、谷口誠一は目立ちたかった、親を苦しめたかったと自供しましたが、事件の真相については未だに謎に包まれています。
ここまでお読み頂きありがとうございました。


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