【西海陶器】児玉盛介会長&賢太郎社長の経歴は?波佐見焼は誰が作った?

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2023年5月11日放送「カンブリア宮殿」に波佐見焼を世界のブランドにした西海陶器の会長児玉盛助(こだま もりすけ)さんと社長の児玉賢太郎(こだま けんたろう)社長が出演されました。

2人の親子の経歴について興味が湧きますよね。

この記事では【西海陶器】児玉盛介会長&賢太郎社長の経歴は?についてご紹介しています。

さらに波佐見焼は誰が作った?歴史や特徴は?西海陶器オンラインショップや口コミについてご紹介しています。

ぜひ最後までご覧ください。

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波佐見焼は誰が作った?歴史や特徴は?

波佐見焼の始まりは1590年代頃で、粘土を原料とし、陶器は焼成温度が1,000℃焼かれ、日用品として使用されていました。

1592年から1598年にかけて行われた豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、当時波佐見村(現:波佐見町)の大村藩主であった大村善前が朝鮮の陶工を連れ帰り、窯を築いたことが発端だと言われています。

400年以上前の話なので誰が発端なのか?正確には答えられませんが、大村善前が朝鮮の陶工「李祐慶」を連れ帰ったことによりできたので大村善前さんが発端で作られたとも考えられていますし、李祐慶さんが発端で作られたとも考えられています。

そして400年以上も受け継がれており、波佐見焼の特徴は「透けるような白磁の美しさと、呉須(藍色)で絵付けされた「染付」の繊細で深い味わい点」と「丈夫で扱いやすく、比較的安価で、個体差も少ないため、安定した商品、作品が手に入る点」です。

【西海陶器】児玉盛介会長&賢太郎社長の経歴は?

  • 名前:児玉盛介(こだま もりすけ)
  • 役職:西海陶器株式会社 代表取締役会長
  • 誕生:1949年生まれ
  • 出身地:長崎県東彼杵郡波佐見町

2003年ごろに牛肉に端を発した産地偽装問題があり、有田焼として販売していた波佐見の焼きものも、地域ブランドを明確にしようとする「産地厳格化」のあおりを受けました。

その際に有田焼きを作る会社に行って「歴史を見れば波佐見も有田焼です。一緒にやっていきましょうよ。」と言ったそうですが断られたようで、その時に有田焼きと一緒に売る考えを捨て、波佐見焼として販売されることになりました。

波佐見焼のブランドを売れるきっかけになったのは、東京ドームにて開かれた「テーブルウェア・フェスティバル」での出会いです。

日本中から食器たちが集まるイベントで、当時波佐見焼は隅の一番小さなブースだったけれど、総合プロデューサーをされている今田功さんが波佐見焼は次世代を担う。と言ってくれたようです。

新しい生活提案ができる、おしゃれでスタイリッシュな器がありますよ、というメッセージを打ち出すようになり、日本中で売れるようになりました。

児玉賢太郎社長の経歴は?

  • 名前:児玉賢太郎
  • 役職:西海陶器株式会社代表取締役社長(3代目)
  • 誕生:1983年生まれ
  • 出身地:長崎県東彼杵郡波佐見町
  • 出身高校:長崎日大高校
  • 出身大学:日本大学
  • 留学:アメリカ留学(1年)

賢太郎さんは2009年に西海陶器に入社されました。

入社後、中国支社を立ち上げ、3年後に帰国し東京支社に移動されました。

移動後は東京支社の立て直しを図り、2016年には西海陶器の社長に就任されました。

そしてアメリカやオランダ、シンガポールに会社を設立し、自社ブランドを広めるために、焼き物メーカーが廃業された時に、そのメーカーの土地を購入し、自社ブランドを販売するためにカフェや雑貨販売を開始するほどのやり手社長です。

西海陶器オンラインショップや口コミについて

西海陶器の公式オンラインショップに行く際は、上記の画像をクリックするか、以下のURLをクリックすると公式サイトに移行します。

西海陶器の公式オンラインショップ:https://ec.saikaitoki.com/

 

ここまでお読み頂きありがとうございました。

この記事を読んでいるあなたと波佐見焼を世界中に広めた児玉会長と社長に幸運と幸せが雪崩のごとく訪れますように。

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