令和の怪物と呼ばれている佐々木郎希選手についてご紹介します。史上16人目に完全試合を達成し、最年少で達成され、2023年3月11日WBCチェコ戦で登板され、話題になっています。そんな佐々木選手の生い立ちや幼少期について興味が湧きますよね。
この記事では佐々木郎希選手の生い立ちや幼少期はどんな子?ということについてご紹介しています。佐々木選手と家族とのエピソードや母の陽子さんがエルメスバーキンを持っていたことについてご紹介しています。ぜひ最後までご覧ください。
佐々木郎希の生い立ちや幼少期を調査!どんな子だった?
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佐々木選手は2001年に岩手県陸前高田市で生まれました。幼少期から佐々木選手はピッチャーでコントロールは今よりかなりひどかったそうですが、今では完全試合を達成するほどのパワーとコントールを備えています。
幼少期の佐々木選手は物静かで辛抱強く、負けず嫌いで何事にも一生懸命でした。友達思いで、さらに後輩思いであり、よく行く蕎麦屋では後輩の分まで食事代を負担されていたとか。
野球を始めたきっかけは?
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そんな佐々木選手が野球を始めたきっかけは3歳年上の兄、琉希さんの影響で、兄琉希さんは地元の少年野球クラブでピッチャーを務めていました。またWBCに出場されていたイチロー選手のインタビューを見て、憧れを抱いていたそうです。
「テレビで見ていた。決勝でイチローさんが勝ち越しタイムリーを打った場面がすごく印象的。自分もそれを見て、イチローさんから野球に対する憧れをもらったので、僕もそうやって子供たちに野球の魅力を伝えられたらいいなと思う」
東日本大震災を経験!
そして佐々木選手が9歳の時に2011年3月11日に東日本大震災を経験し、父親と祖父母を失ってしまいます。そして母と3兄弟で悲しい経験を乗り越えていくことになります。兄が父親代わりになって佐々木さんを厳しく指導したことについては以下の記事で紹介しています。

震災直後は老人ホームでお世話になり、翌年には母親の親族がいる大船渡市に引っ越しされます。そして軟式野球チーム「猪川野球クラブ」に入団されます。
当時は小学3年生。地震発生時は小学校にいて近くの高台へ避難した。だが、津波で自宅は流され、父の功太さん(当時37)、祖父母を失った。その後、老人ホームでの避難所生活を送り、母の陽子さんの親族が住む隣町の大船渡市に引っ越した。《中略》野球をしているときが一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで大変だったとき、つらいときも頑張れた。野球をしていて良かったなと思う
野球している時が楽しくて、震災で父親や祖父母を失ったことの辛さや大変さがある時でも頑張れたと語っています。野球していて本当に良かったと語っていました。当時の佐々木選手を支えてくれたのは野球のおかげということですね。
今後の活躍に期待ですよね。父親や祖父母も喜んでいることでしょう。以下の記事では佐々木さんの父親についてご紹介しています。

佐々木郎希と家族とのエピソードについて
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そんな佐々木選手と家族とのエピソードについてご紹介しています。兄弟については別記事でご紹介しています。ぜひそちらも併せてご参照ください。

父親とのエピソード
佐々木選手の父親は功太さんと言って、野球はされたことはなくバスケットボールをされていた李、スキーやスノボー、ジェットスキーなど様々なアクティブなスポーツをされる父親でした。休みの日は兄弟でかわりばんこにキャッチャーをする父に向ってボールを投げたそうです。
父親功太さんの職業などについては以下の記事でまとめています。

母親とのエピソード
震災直後の母とのエピソードは100円ショップで購入したハンカチタオルを「母の日」にプレゼントされたようで、100円のプレゼントをもらっても喜んでもらえないのでは?という不安があったそうですが、渡したらとても喜んでくれたそうです。
そのことからプレゼントする際、値段ではなくプレゼントする気持ちが大切なんだと知ったそうです。
祖父母とのエピソード
震災前までは同じ敷地に祖父母の家があったそうで、頻繁に出入りしていました。リビングに行くと必ずお菓子が置いてあり、せんべいとロッテのチョコパイだったそうです。
「おじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに行くとチョコパイがいつもあって、よく食べていました。チョコパイが美味しかった。それが思い出ですし、ぼくにとってロッテのお菓子といえばチョコパイです。すごく美味しかったです」
そんな佐々木選手は千葉ロッテに所属されていますよね。ロッテと佐々木選手は何かの縁で結ばれているのかもしれませんね。素敵で可愛らしいエピソードです。
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佐々木朗希の母陽子が持っているのはエルメスバーキン?
佐々木選手が千葉ロッテとプロ契約する際に、母陽子さんはエルメスバーキンを持っているのでは?と少し話題になりました。
間違いなくエルメスバーキンでしょう。しかもスカーフ付です。エルメスバーキンは25㎝~40㎝迄サイズ展開されており、大きくなればなるほど値段は上がりますが、いまだと200万円はする代物です。
上記動画の27秒当たりのところで母陽子さんがエルメスバーキンを持っているように見えます。youtubeにバーキンの動画がありましたので、上記動画と見比べて頂ければと思います。
金具は照明の関係から特定することは難しいですが、ゴールドでしょうか。金具によっても値段が変わります。佐々木選手のことを考えて、高価なバックを所有されていたのかもしれません。
入団交渉は岩手県大船渡ホテルで開催された訳ですが、その際に佐々木選手と同席されていました。佐々木選手の母は陽子さんと言います。ネット上ではかなり美人ということで話題になりました。
佐々木朗希のロッテとの契約の時の写真見たけど母親めっちゃ綺麗で美人!#佐々木朗希 pic.twitter.com/NAQTWW5PaI
— のんたんのつぶやき (@nozomifan0809) December 10, 2019
母陽子の職業は?
ロッテのドラ1の母ちゃんたち
美人すぎませんか…#chibalotte#藤原恭大#佐々木朗希 pic.twitter.com/cM8Xg2Kbb0— マリエルちゃん (@marielsecond) November 30, 2019
そんな美人過ぎると話題の母陽子さんの職業は一体何なのでしょうか。「保険の営業マン」と言われており、エルメスバーキンを所持されているということは営業成績も良いのではないでしょうか。営業マンは基本歩合制が多く、成果を多く出せばその分収入なども増えます。売れている営業マンなら年収1,000万円以上達成することもできます。
さらに見てわかる通り陽子さんは美人ですので、活躍しやすいですよね。保険営業マンの平均収入は365万円となっていますが、先ほども紹介しましたが、売れている営業マンであればあるほど、1,000万円を達成しやすいです。
母陽子は再婚している?
そんな佐々木選手の母陽子さんは美人ですので、再婚しているのかも気になりますよね。再婚はされていないと思いますが、これだけ美人であれば再婚する選択肢もありそうですよね。父親は東日本大震災で亡くなっており、再婚することは可能です。
ただ2021年に佐々木選手がプロ初勝利をおさめた際に、インタビューアーに「ウイニングボールをどうされますか?」と質問された際に「両親にあげたい。」と語っていることから、再婚されていない可能性が高いと思います。
このコメントに対して母陽子さんは「私だけではなく両親に渡すと言ってくれたことが本当に嬉しかった。」と語っており、再婚されていない可能性が高いと思います。ここまでお読み頂きありがとうございました。この記事を読んでいるあなたに幸運と幸せが雪崩のように訪れますように。
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