ジブリの生みの親と呼ばれている鈴木敏夫さんがスタジオジブリの新社長に就任されましたよね。鈴木さんのすごさを知らずにジブリにハマっている人も多いのではないでしょうか。
この記事では鈴木敏夫さんの凄さとは?エピソードや名言付でご紹介しています。さらに結婚している嫁や家族、噂のタイ人との関係、宮崎駿監督との関係性についてもご紹介します。ぜひ最後までご覧ください。
【エピソード】鈴木敏夫のすごさとは?
ジブリと言えば「となりのトトロ」や「かぐや姫の物語」などが有名でそれらの作品は宮崎駿さんや高畑勲さんらの功績が大きいでしょう。ただ2人の作品をプロデュースしたのは鈴木敏夫さんで、鈴木さんがいなければ有名になっていなかったかもしれません。それぐらいジブリにとって鈴木さんの活躍は大きな功績をもたらしました。
鈴木敏夫さんと言えば風の谷のナウシカの裏話で「プロデューサーになるのに必要なことは何ですか?」と質問された際に「常に監督の味方に立つ」という名言を残されていますよね。そんな鈴木さんは元々ジブリではなく、徳間書店に勤めていたのです。
はじめからジブリの人だと思っていましたが、徳間書店という風の谷のナウシカのスポンサー企業で働いていました。
そして人気漫画の風の谷のナウシカの映画化の話が進み、宮崎駿さんが映画化する条件として挙げたのが「高畑勲さんをプロデューサーにしてほしい。」ということで、鈴木さんは高畑さんを説得し続け、プロデューサーになってくれることになりました。
説得当初はプロデューサーになりたく理由をまとめたノートを渡されていたのに、仕事をすると決まったら一切手を抜かない高畑さんの様子に感動し、ジブリのプロデューサーとしての仕事を始め、今の地位を築きました。
鈴木敏夫の結婚している嫁や家族、タイ人について!
そんなジブリの生みの親と呼ばれている鈴木さんの結婚した嫁(妻・奥さん)や家族はどんな感じなのでしょうか。鈴木さんは妻と子供の3人家族で、妻は一般人女性のため、名前や顔画像は分かっていません。息子さんではなく娘さんが1人いて、鈴木麻実子さんです。
れんが屋に行ったら中川龍太郎監督と久しぶりに再会しました✨
名古屋の鬼ばばあ面白かったって言ってくれて嬉しかった❤#鈴木敏夫#中川龍太郎#やがて海へと届く pic.twitter.com/bHIUfNz3eW— suzukima35 (@suzukima35) September 2, 2022
鈴木敏夫さんは名古屋市出身で、慶應義塾大学卒です。大学進学とともに上京され、学生時代には5回以上も引っ越しされるというエピソードがあります。そして奥さんと結婚後、同居し、青物横丁二1年ほど住んでいて、恵比寿の家に40年以上も住んでいるようです。
高畑勲監督・宮崎駿監督と数々の作品を手掛けてきた鈴木さんは、1948年に名古屋市で生まれ、1967年に慶應義塾大学入学とともに上京しました。東京で暮らし始めて、およそ50年。学生時代は5回以上引越した一方で、結婚後は恵比寿の同じ家に40年以上も住み続けています。
そんな嫁は映画「紅の豚」制作中に鈴木さんに「ごみを捨ててこい」と怒られたこともあるようで、もしかしたら奥さんは姉さん女房的な感じで鈴木さんを献身的に支えてこられた女性なのかもしれませんね。
『紅の豚』の製作時に、プロデューサーの鈴木敏夫がラストを「奥さんのところ(本宅)に帰っていって、家に入ろうとすると奥さんに”ゴミを捨ててこい”と怒られる」としたらどうかと言ったら、宮崎駿が真顔になったというエピソードが好きです。 pic.twitter.com/LYUjfjera4
— 中井かんいち (@ichikawakon) January 14, 2022
そんな鈴木さんはタイ人女性に入れ込んでいて、ジブリ内がそのせいで大きな影響を受けているという報道がありますが、本当なのでしょうか。
株式会社スタジオジブリの代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫氏(74)がタイ人女性に“入れ込んで”おり、社内が大混乱に陥っているという。《中略》お相手の女性をカメラ経験がないにもかかわらずジブリ関連の公式フォトグラファーに採用。またタイにジブリ公認レストランをオープンして女性に運営を任せるなど、公私混同も甚だしいサポートぶりを発揮していたのだという。
どうやら報道によると、鈴木さんは奥さんや娘さんがいる既婚者でありながらタイ人の女性に入れ込んでおり、ジブリの公式フォトグラファーとして雇っていたり、ジブリ公認のレストランの運営を女性に任せたり公私混同しているとのことが報じられており、さらに。
鈴木さんは2018年にノンフィクション小説を出版し「南国のカヤンダ」というタイトルで、鈴木さんとシングルマザーでタイ人のカヤンダさんとの関係を小説にしたことが話題になりました。
「鈴木さんは2018年に初のノンフィクション小説を出版しましたが、タイトルはズバリ『南の国のカンヤダ』。カンヤダさんとの交流について書いたもので、『気品がある』や『ファッションセンスが素晴らしい』などベタ褒めでした」
そんな二人の出会いは2013年頃で都内マンションのエレベーター内で知り合ったそうです。そのマンションがどこかは特定されていませんが、鈴木さんは色々な方と喋ることが好きで、日本語を学ぶために来日していたカヤンダさんと会話が弾み、親しい関係になったとか。鈴木さんが若い頃に好きだった女性、大楠道代さんに瓜二つだったことも親しい関係になった理由とか。
「BU・SU」富田靖子×大楠道代:田舎から上京してきた森下麦子(富田靖子)は学校に通いながら神楽坂で芸者見習中。青春の危うさ、瑞々しい空気感のある映画でした。文化祭で踊る人形浄瑠璃「八百屋のお七」、終盤に同級生の高嶋政宏と火を放つシーンが重なって若さというものの奔放さを象徴している。 pic.twitter.com/D3f8P9Evel
— Colette (@Colette89677107) March 13, 2021
はじめは鈴木さんのポケットマネーで行っていたそうですが、次第に公私混同していったと報道されています。
タイに帰国した彼女から連絡を受けた鈴木さんは“シングルマザーのカンヤダ氏が自立できるように”とお金を出してあげて、カンヤダ氏はタイでスパや飲食店を開きましたが、どれも長続きしなかった。ただ、このころは鈴木さんのポケットマネーだったので、まだよかった
その報道に対して、鈴木さんは嘘ばっかりと否定されています。真実かどうかはわかりませんがジブリのファンは驚きの声が投稿されています。
鈴木敏夫と宮崎駿の関係とは?
そんな鈴木さんと宮崎さんの関係はどうなのでしょうか。鈴木さんと宮崎さんの出会いは「太陽の王子 ホルスの大冒険」で、鈴木さんは人気アニメの取材をしようと高畑さんに電話で取材を申し込みます。ただ取材することを1時間かけて断られ、代わりに一緒に「太陽の王子 ホルスの大冒険」を作成した人物を紹介するということで、宮崎さんは紹介されました。ただ取材するにあたり、16~30ページ以上の特集を組むことの条件を突き付けられ、鈴木さんは渋々断ります。
宮崎さんが「ルパン三世カリオストロの城」を制作している最中に、二人は初めて顔を合わせ、宮崎さんは来客がいるのにも関わらず、制作し続け、鈴木さんは夜中の3時頃まで宮崎さんの横で待っていたそうです。その時、宮崎さんは「胡散臭い男が来た」と思ったそうで、そこから2人の関係が始まります。
鈴木さんは宮崎さんと高畑さんとの数々の作品を作り上げ、「社会性がなくなってしまった。」と語っていました。2人は親密な関係であることがわかります。ここまでお読み頂きありがとうございました。この記事を読んでいるあなたに幸運と幸せが雪崩のように訪れますように。
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